しんどかったことと、自分のためにやって良かった備忘録。今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
2024年は本厄
2024年は厄年でした。本厄です。
そうは言いつつも、実はあまり「厄年」を信じていません。会話のネタとして取り上げることはあっても、神社やお寺で厄払いに行くことも、身に起こる不運を厄年のせいにすることもありませんでした。2024年はあと4日あるので絶対とは言えませんが……まあ何とか過ごすことができるでしょう。
「厄年」というと単に「災難が起こりやすい年」を思い浮かべますが、「身体的・環境的な変化が起こりやすい節目の年齢」なんだそうです。そう考えると、今年は大きな出来事がありました。
精神的な問題で1年休職していた子が、復職と同時に異動してきて、その指導担当になったのです。今年5月のことでした。
こちとら年上社員ばかりの部署を転々としてきたので、後輩指導の経験がほぼありません。それが突然の、メンタル不調からの復職者の指導。後輩が顔見知りであることだけが救いの難問でした。「環境的な変化」にドンピシャの事案です。
そこで、しんどかったことや困ったこと、自分のためにやって良かったことなんかを、ひとまとめに書き残しておこうと思います。来年と、もっと未来の自分がまた同じような後輩を持ったときのための備忘録です。
累計3300字です!長い!!
しんどかったこと
【全般】
- ともかく万事めっっっちゃ気を遣う。
【業務面】
- 勤務時間が短い、かつ不定型。直前まで翌週の勤務形態がわからない。研修・業務スケジュールの組み直しが多い。
- 業務は主に午前中が忙しいが、1時間半の遅出出社が基本。ゆえに後輩を実務投入すると、チーム業務すべてが2時間ほど後ろ倒しになる。
- 異動したので新しい業務を覚えてもらう必要があるが、病気の影響で文章を読む・理解することが難しい(らしい)
- ↑の情報が開示されたのが復職後2ヵ月経過時点で、これまで私が言葉を尽くして説明してきたことは一体…と思う。
- たぶん後輩が独り立ちしたら私が別部署に異動なんだけど、こんな調子なので自分の進退がもうずっと謎。
【気遣い】
- 体調・心情の情報開示が少なく、何に気を遣ったらいいのかイマイチわからない。
- 困り事はすべて部長経由で知る。直接尋ねても特にないとの回答で、信頼されていないと感じる。
- 笑顔、朗らか&明るいトーンを心掛けたら、平素と乖離する姿を演じすぎてこちらがぐったりする。
- スムーズな復職のサポートをしたい、と心情的に入れ込み過ぎて、思い通りに進まなかった時にこちらが落ち込む。(→その後、適切な距離感を把握して回復)
【最終的に】
- 復帰4ヵ月後にメンタルが悪化し、再び休職となってしまう。休職は当初2ヵ月の予定も4ヵ月に延び、この度6ヵ月に再延長が決定。
もちろん一番しんどいのは後輩自身だと思います。
が、それはそれとして、こちらもしんどかった。途中、上司や先輩に「気を遣い過ぎてとうつきさんが倒れちゃわないでね」と言われました。ご心配をお掛けして申し訳ない…。適切な距離間を探して見つけて、適度な気遣いとサポートを心掛けた結果がこれで、きっと正解はないけれど、やっぱり難しいな、と思います。
後輩が休みがちになったのは、私の夏休み中だそうです。休暇明け職場に戻ったら後輩は休みで、「先週から体調不良みたいで…」と上司に言われ、その1週間後には再休職となりました。休暇前に難しめの業務を教えていたのと、指導担当がいなくなって気が抜けてガクッと来たのかな、というのが私の予想です。真相は不明。
自分のためにやって良かったこと
しんどいことばかり書いても悲しいので、ここからは4ヵ月間にやって良かったこと、考え方を変えて改善したことを書き残しておきます。
先輩・上司と情報連携する、味方につける
ほんと~~~~に先輩に恵まれました。同じチームの女性の先輩がたくさん話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたり、一緒に上司に掛け合ってくれたりしました。
私はどうも「物事が解決するか否か」と同じくらい「話を聞いてくれる人がいるか」が重要な人間で。「誰にも相談できない!」と思った瞬間心が死ぬんですね。悩みの尽きない指導期間中、先輩の存在が有難かった。再休職となり私の配置転換(後輩の独り立ち時期に依存)が本格的に謎になった時も「とうつきさんが、後輩が急に休んだ時のピンチヒッターとして部署に残り続けるのは良くない。とうつきさんは別の部署でもっと活躍できるはずだし、勿体ない」といったことを言ってくださって、私はとても救われました。人生で辛くなった時に思い出したい語録。
上司は最初、情報連携がダメ(上席間ですら連携できず)だったのですが、先輩とせっつき続けたら、何か動きがあったら共有の場を設けてくれるようになりました。こちらも指導状況や業務上の懸案事項を積極的に報告しました。共有の場を通じて、メンバー一体でどうするか考えられたこと、上司が味方だと感じられたことは良かったです。何かあった時に「とうつきさんがきちんと指導しなかったから」と言われない環境づくり大切。再休職により後輩指導に関する期末評定はBだと思っていたのですが、工程を評価してくれたのか、A評定を貰えました。
気負い過ぎない、努力で解決できないと割り切る
後輩は顔見知りかつ良い子だと知っていたこともあって、最初は「無事に仕事ができるようになってほしい!その為に出来るサポートはなんでもする!」と思っていたんです。そうやって自分の業務を後回しにして指導案を考えて、にこにこ笑って気を遣って、最大限努力してサポートして。それでも時短勤務はなかなか解除になりませんでした。
「どうしてこんなに気を遣って頑張っているのに、良くなってくれないの」と思ってしまった時、このままではダメだなと気付きました。
うつ病患者の家族が、症状が良くならないことにイライラしてしまう気持ちがわかってしまったんですね。後輩は家族のように近い存在ではありませんし、最悪退職したら二度と会わないでしょう。そんな人に入れ込んで気負って、勝手に期待してイラついて果てに共倒れでもしたら本当に馬鹿でしかない。
「これは後輩の問題で、私が頑張ったところでどうしようもない。私は、意地悪を言ったり雑な扱いをすることで後輩を病状を悪くすることができるけど、全力で気を遣ったりサポートすることで後輩の病状を良くすることはできない」
そうやって、良い意味で割り切れた時に少し楽になりました。復帰後1ヵ月後のことでした。 ※意地悪はしてないですよ、念のため。
職場以外の人に話す
「メンタルを病んで休職していた後輩の話」なんて、ウルトラセンシティブで職場では気軽に話せません。他人の病状を社内で話すのがまずダメだし、単なる愚痴が尾ひれをつけて本人に伝わった日には目も当てられない。
だから、愚痴めいた話は事情を知る同じチームの先輩か、あるいはまったく無関係の学生時代の友人にしていました。やはり「人に話せる」こと自体が、私にとって救いになります。
思わぬ副産物もありました。友人の弟がやはりメンタル不調となり、休職→復職するも再度休職、その後転職したという話を聞きました。この話を聞いたのは後輩が再休職する前で、その心構えができました。この話がなかったら、再休職の際にかなりのダメージを負っていたと思います。
おわりに
記事としては「おわりに」ですが、現実問題まったく「おわりに」ではありません。
後輩は休職中だし、いつ復帰するのか、いつか復帰するのかもわかりません。復帰したとして、懇切丁寧に教えたけど休職中に全部忘れたであろう仕事を、もう一度教える業務が待っています。私の4ヵ月間が全部吹っ飛んだと同義なので、笑顔で教えられる度量を身に着けないと。一方で、私の配置転換が後輩の独り立ち抜きで検討されているらしく、直接教える機会は無くなるかもしれません。なにもわからない。五里霧中。
記事の書き出しは、思い付きで「厄年」に絡めてみましたが、正直、特段「厄年」が関係しているとは思いません。何歳だってあるでしょ、こんなこと。まあでも、せっかくなので「厄落とし」を兼ねてこの記事を投稿します。
来年はもっと、どん、と構えてこの課題と向き合いたい。来年は「後厄」です。