とうつきの備忘録

地味OLの備忘録。ゆるミニマリストな暮らしと、ものづくりと節約。

「中学校でじゃんけんに負けて、生活委員になった時」

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今週のお題「人生変わった瞬間」

 

人生変わった瞬間

「あの時ああならなければ、今の自分はいないだろう」

そう感じる瞬間はたくさんあります。現在の職場に採用された時、通った大学に合格した時、アルバイト先に小売業を選んだ時……。一人暮らしを始めたのも、なんならしまむらでミッフィーのトレーナーに出会ったのも、今の自分を形作る一瞬です。

トレーナーの刺繍がきっかけで、今やぬいぐるみを溺愛するほどに…。

では、何を記事にしよう。できるだけ偶然で、ちっぽけで、それなのにその後の人生に大きな影響を与えた一瞬はなんだろう。

そう考えて思い浮かんだのが「中学校でじゃんけんに負けて生活委員になった時」でした。

だいぶ長い自分語り、スタート。

 

人前が苦手な、引っ込み思案の小学生

小学校時代の私は、人前が苦手で、あがり症で、引っ込み思案な子供でした。

教科書の音読ですら心臓がドキドキ。みんなの前で発表なんてとんでもない!発表会の前にお腹が痛くなる子でしたね。学芸会は木の役がいい。

おまけに小6の頃はいじめに近いものを受けていました。まあ、クラスの大人しい系の女子(≒女子の半数)は皆そんな扱いだったので微妙ですが…。でも毎日「死ね」「キモイ」「ブス」と言われたり、物に触ればバイ菌移しゲームが始まってましたから、ま、いじめですよねぇ。

 

公立校だったため、小学校から中学校はほぼ持ち上がり。違う学区の子が混ざる、少し遠い校舎に、制服を着て通うからと言って、大きな変化にはなりません。往来の性格に直近の環境が重なり「人前には絶対立ちたくない」と思っても致し方ないでしょう。

 

じゃんけんに負けて生活委員へ

さて、「生活委員」とは何かというと、校内美化に努める委員……だったような気がします。覚えているのは、下校時刻の消灯・戸締り確認、月一で生活だよりの発行、全校集会の時クラスの列の一番後ろに並ぶこと。一番前に並ぶのは学級委員です。

活動内容は地味ですが、「クラスの列の前が学級委員、後ろが生活委員」に代表されるように、クラスの副委員長或いはサブのまとめ役、みたいな立ち位置でした。

勿論なりたくはありませんでした。サブとは言え、人前(後ろですが)に立つんですから!

 

中学1年生の春。各委員の定員は男女1名ずつ。なりたかった図書委員は希望者が多く、あえなくじゃんけん負け。希望者ゼロの生活委員は再びじゃんけん大会が開催され、敗者の私が着任しました。

大げさですが「人生終わった」と思いましたね。内心半泣きで窓を見上げ、その先の空を眺めたことを今でも覚えています。

 

……そんな嫌々就任した生活委員ですが、これが意外と楽しかった!

まず地味な仕事内容が私に向いていました。そして地味な委員になる生徒は大抵地味。似たり寄ったりなメンバーで開催する生活委員会(生活だより作り)は、ほのぼのした雰囲気で居心地も良かったです。ほとんど雑談会でしたけどねw

あまりにも気に入って、その後は積極的に立候補していました。中学3年間の6期中、確か5期務めたはず。

そして気付きました。「私、みんなでわいわい言いながら仕事をするのが好きだぞ」と。

結果。高校で生徒会に入りました。

 

仕事がしたいから生徒会へ!

緊張しながらも生徒会室の門戸を叩き、無事に生徒会の”庶務”になりました。生徒会室にあるコピー機を貸したり、ホームセンターに備品を買いに行ったり、文化祭の時期にはペンキを貸し出したり。ライトノベルのような華やかさは皆無ながら、楽しく活動をして過ごしました。

庶務の仕事には備品管理・貸出のほか、毎年4月に開催される“新入生に向けた部活動紹介”の取り纏めがありました。体育館で半日かけてやるんです。吹奏楽部が演奏したり、サッカー部がリフティングしたり。で、その為の部活の代表への説明会、各部からの希望内容・時間の回収、タイムスケジュール作成、リハーサル……とにかく全部を担当します。超忙しい。特に説明会は人前に立たなきゃいけない!

 

説明会は先輩が話すはずが……先輩、私よりあがり症だったみたいで。隣で聞いていてハラハラする程あちこち説明をすっ飛ばすので、質問受付の前に思わず補足説明に乗り出しました。2回目以降もそんな感じ。おかげで度胸がつきました。円滑な運営のためには!話すの苦手とか言ってる場合じゃない!!

前向き(?)にやり出した結果、各部との折衝も当日の急な変更も、大変だし胃が痛いんだけど面白い。そうして思いました。「運営側でイベントを作るのってなんだか楽しいぞ」と。

結果。大学で学園祭実行委員会に入りました。

 

イベント運営がしたいから学園祭実行委員会へ!

生徒会はまだ地味ですが、学園祭実行委員会なんてパリピの集まり。それでもやりたかった。サークルで模擬店を出店する側ではなく、運営する側で携わりたかった。

所属したのはお金や備品の管理をするグループ。学園祭当日は「中庭テントに貴重品の落し物が届いたから取りに行って!」とか「正門のゴミ箱が溢れたから回収!」とか指示されて走り回って。大切な思い出であり、青春です。

 

学園祭のパンフレットに乗せる広告の営業もしました。大学周辺のお店に「広告載せてくれませんか!?」って電話するんです。一人ノルマ20件だったかな?プライベートの手帳が次回アポや電話の時間で埋まっていくのは、さながら新規営業サラリーマン。これも度胸つきました。あと契約取れた時の喜びハンパない。

……これ、「国語の授業の音読が嫌だ」とか言ってたのと同一人物なんですよ。

 

おわりに

高校の生徒会と大学の学園祭実行委員会。私にとっての青春であると同時に、たくさんの物を得た場所でした。思い出は勿論、人前で話す力とか、度胸とか、仕事のやりがいとか。

この二つがなければ、全く違った性格と人生を歩んでいたかもしれません。

でもこれらの経験って、中学1年生の4月にじゃんけんで負けて生活委員にならなかったら、得られなかったと思います。仕事の楽しさ無しには生徒会の戸を叩かなかったし、その流れなく学園祭実行委員には辿り着けない。

あの時は「運に見放された」と思ったけど、とんでもない。その先に楽しい青春と、沢山の経験が待っているんだから。

あの時じゃんけんに負けたから、たぶん人生が変わった話。