つらつらと思うこと。
先日母方の祖母が亡くなりました。92歳での大往生です。
人生で初めて葬儀に参加したので、まとまりは無いですが日記でも書こうかと思って。
祖母とはもう15年以上会っていませんでした。小学生の頃は夏休みに祖父母の家へ遊びに行ったりしましたが、今は昔。元々親戚づきあいの浅い家系でしたし、母からLINEで訃報を聞いた時も「そうか」という以上の感情はありませんでした。祖母は晩年認知症だったそうで、向こうもきっと私のことなんて覚えていないでしょう。
とは言え、母から「お通夜と告別式はどうする?どっちか片方の参加でもいいよ」と言われてしまえば、不参加というのも憚られます。”母への親孝行”と割り切って参加しました。
お通夜は無宗教、かつコロナもあるので親族のみの家族葬。母を中心としたうちの家族と、母の兄弟の家族、全員合わせても10人未満の式でした。
無宗教なのでお坊さんの読経なども無し。葬儀会社の方の司会進行の下、黙祷とお焼香のみ行って15分程度のお通夜でした。その後は親族での会食、解散。
随分さっぱりしたお通夜でしたが、いいお式だったように思いました。
なんで「いいお通夜だった」と思うのか、考えて思い付いたのは2点。
1点目は老衰での大往生で、親族間に悲しい雰囲気はまったくなかったこと。
涙はなく、会食でも「おばあちゃん蟹好きだったよね~」「おばあちゃん家に大きな鏡台があったの思い出した!」等々、昔を懐かしみ笑い合う雰囲気でした。葬式は亡くなった人のためでなく、残された人のために必要、と言う言葉をどこかで見たことがあるのですが、まさしく母とその兄弟の心の一区切りになるような、和やかな時間に感じました。
2点目は葬儀用の一軒家が会場だったこと。
私、お葬式って
- 寺院管轄の葬儀場
- 冠婚葬祭企業や県営・市営のセレモニーホール
とかでやるものだと思っていたんですよ。鯨幕とか「○○家葬儀」と書かれた看板があって、喪服の参列者が集うイメージ。で、小規模の家族葬の場合は、自宅のパターンもあるのかな…くらいの印象。
でも、今回の会場は1階部分がミニキッチンとホール、2階部分が客室になった葬儀用に建てられた一軒家だったんです。
ホールと言っても、広めのリビングダイニングくらいの大きさです。そこにお棺やお花を置いて、椅子を並べて、お通夜をするんですね。お通夜が終わったらスタッフさんが椅子や机を並び替えて、会食会場へ。2階の客室は、遠方の親族がお通夜~翌日の告別式の間に泊まれるんだそうです(両親は泊まっていました)。
セレモニーホールのような仰々しさはなく、それでいて葬儀に適した造り。かつ葬儀社の管轄下なので、スタッフさんが色々と手配してくれる。故人が好きだったJ-POPを流し、中くらいのパネルに思い出の写真を映し…親族だけでこじんまりと時を過ごすには良い空間だったなと思います。
私も自分のお葬式をやるとしたら、ああいう感じがいいな、と思いました。
まあ、万一この歳で死んだら、親族的には悲しみに暮れる感じのお葬式になっちゃうので駄目なんですけど。両親よりは長生きしないとな~と思っているので。でもそうしたら、私の葬式を開いてくれるのって誰だ?うーん…。
お通夜の日時を知らされた段階では正直「面倒だな」と思ってしまいましたが、見知った人の終わりに手を合わせる機会があったこと、母とその兄弟の一区切りを見ることができたことは良かったです。こんな雰囲気の葬儀もあるのか、って発見があったのも良かったかもしれない。
晩年親交がなかったとはいえ、親族のお通夜。それも葬儀自体が初体験。帰ってから何日かもやもや~っとしていたのですが、こうして書き出してみると、なんだかすっきりしました。よしよし。
葬儀初体験の私は当然喪服も持っていなかったので、喪服のレンタルなんてことにも挑戦しました。その辺も忘れないうちに書きたいな。